2012年9月 大腿骨骨頭部壊死の進行はないようだ。痛みは徐々に薄らいで行くような気がしている。諦めないで復活を誓う。 |
2011年5月
プレドニンの副作用による大腿骨骨頭部壊死が判明。登山はハイキング程度しか出来なくなる。将来は人工関節との事。 |
7月10日 念のため最後の検診。この病気について完治ということはないようですが治癒宣言です。 |
5月8日
検診。無罪放免、しかし再発しやすい病気なので今後は何かあった時の任意の検診でも良いとの事。 |
3月6日
検診。やっと全ての薬から開放されました。 |
2009年1月16日 検診。免疫抑制剤最後の10mg。 |
11月28日
検診。プレドニンついに0mg。残る薬は免疫抑制剤のみ。 |
10月17日
検診。プレドニン1mgから0.5mgへ。 |
9月9日
検診。プレドニン2mgから1mgへ。 |
8月5日 検診。プレドニン3mgから2mgへ。
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7月30日 椎間板ヘルニア手術、麻酔も痛止めの薬も、現在腎臓には関係なさそうだ。 |
6月27日 椎間板ヘルニア発症 |
6月24日 検診。プレドニン4mgから3mgへ。
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5月13日 検診。プレドニン5mgから4mgへ。 |
4月1日 検診。免疫抑制剤当初の1/6に減少。 |
2月26日 検診。プレドニン6mgから5mgへ。 |
2008年1月22日 検診。プレドニン7mgから6mgへ。 |
12月18日 検診。プレドニン8mgから7mgへ。 |
11月13日 検診。プレドニン9mgから8mgへ。 |
10月8日 検診。プレドニン10mgから9mgへ。ここからは微減。薬と縁が切れるまで、まだ一年は掛かりそうだ。 |
9月4日 検診。免疫抑制剤当初の1/3に減少。その他の薬も願い出たら減量してもらえた。 |
7月31日 検診。プレドニン2.5錠から2錠に。もう何をしても大丈夫なような気がするが・・・・・・? |
6月26日 検診。プレドニン3錠から2.5錠に。経過は良いがゆっくりとしか減量してもらえない。 |
6月16日 沢登り6時間40分だが実働5時間30分程度。 |
6月6日 プレドニンの自主減量3錠から2.5錠に。 |
5月22日
検診。免疫抑制剤当初の1/2に減少。血液検査値は正常でコレステロールを下げる薬からは開放された。 |
14日、20日岩トレ、それぞれ6〜7時間の野外活動。翌日に多少疲れが残る程度の運動。 |
5月2日〜5日
3日、4日で木曽駒ケ岳、恵那山の登山。恵那山では標高差千メートル、行動7時間30分となる。 |
4月30日 退院後初めて標高差500mの登山。沢登り復帰、5時間弱の行動。 |
4月29日
山小屋ベランダ造り。翌日の登山のため宿泊。 |
4月24日
検診。プレドニン3.5錠から3錠に。やっと3錠までにたどりついた。 |
4月19日〜22日
3泊4日の北海道旅行。運動量は無いが三日目ともなれば多少の疲れも感じて来る。 |
4月14日〜15日
山小屋のベランダ工事、両日とも4-5時間程度の作業。 |
4月9日
和気アルプスハイキングと簡単な岩トレ、7時間程度時間を費やしたが実働3時間程度か。 |
4月6日〜8日 山小屋のベランダ工事で二泊する。運動量としてはハイキング程度だが、普段使用しない筋肉を使っているため筋肉疲労による疲れを感じる。 |
3月31日 サイクリングと捜索。4時間程度の運動量。 |
3月27日 検診。プレドニン4錠から3.5錠に。 |
3月25日 大槌島ハイキング1時間。 |
3月24日
秘坂鍾乳穴ハイキングコース4時間。 |
3月21日
仏ケ山ハイキングと行方不明者の捜索で実働6時間の運動。 |
3月18日 竜王山ハイキング2時間15分。 |
3月17日 新見市秘坂鍾乳穴付近の山登り3時間30分。 |
3月13日 検診、免疫抑制剤2/3に減少。 |
3月11日 本島・小阪山ハイキング5時間10分。 |
3月10日 前島ハイキング2時間10分。 |
3月4日 地域の行事等と雑用、軽作業で週末にたまったストレスを発散する。 |
2月27日 検診。プレドニン5錠から4錠に。 |
2月24日 5時間15分のハイキング。予定では2時間程度を予想していたが、意に反し5時間超のハイキングとなってしまった。気掛かりではあったが、ゆっくりペースだったので、それがかえって身体的には好結果をもたらしたその後の一週間であった。心身ともにリフレッシュした感がある。睡眠薬はほぼ断ち切る事が出来た。 |
2月19日 仕事に復帰するが一週間は徐行運転。 |
入院時の運動はストレッチと階段登りをし、できるだけ体力を落とさないことを心掛ける。腎生検から10日間ほどは運動は休む。しかし、薬の副作用から筋力は落ちてくる。 |
2月17日 尿蛋白はマイナス値を保ったままだったので退院。食事制限なし、運動は薬を服用しているので疲れない程度との事。この疲れない程度というのが医師にも私にも判らない。 |
2月10日 プレドニン6錠から5錠に。 |
1月30日〜2月9日 尿蛋白はマイナス値を保ったままだ。 |
1月29日 パルス療法が効果的だったのか尿蛋白はマイナスになる。 |
1月24日〜26日 パルス療法。 |
1月23日 腎生検結果判明。微少変化型ネフローゼ症候群と診断。とりあえず現時点での朗報となった。 |
1月16日〜23日 しかし、尿蛋白は2+〜3+で推移。 |
1月17日 腎生検。 |
1月15日 プレドニン8錠から6錠に。 |
1月12日 尿蛋白はついに±まで下がる。早期の回復を予感した。 |
2007年1月4日〜11日 尿蛋白は徐々に下がり始める。 |
12月29日 プレドニン投与8錠 |
2006年12月27日 入院。むくみは足から始まり段々と体の上部までむくんできていた。むくみ以外の病的な症状はない。 |
2006年12月26日 尿蛋白4+。ネフローゼ症候群と診断、即入院を勧められる。 |